ボクが写真を撮るきっかけになったのは、
既に20代も終わりを迎えようとしていた頃、
ちょうど、当時掲げていた一つの夢を達成した頃だったが、
その夢が、とたんにはじけ散ってしまい、
過去の生き方、人生を全否定するようになって、
もう、何にも頼れなくなった…
そんな頃、気を紛らわすためにカメラを買ったのがきっかけだった。
そんなに本格的に写真を撮るつもりなんてなかったものだから、
当時のカメラは、おもちゃみたいなカメラで、
ただ、毎日見上げていた空を撮ったりして、
当時利用していた楽天ブログにアップしたりしてた。
次第に、写真に吸い込まれている自分に気がついた。
やがて、中型のデジカメ(一眼ではない…)を手に入れて、
本格的に、写真を撮りだしたものの、
写真の基礎も何も知らず、
ただ目にした美しい光景をそのまま、写真にしていた。
ただ、写真を撮る為だけに、遠くにまで独りで出かけた。
当時のボクにとっては、生きる糧(かて)だった。
今もやはりそう…。
当時と比べて、写真に関する知識は飛躍的に増え、
カメラも一眼レフを使うようになったものの、
やはり今でも、「自分の気に入った世界」を得るために、
カメラを構える日々が続く…。
そんなわけで、
ボクは人に認められるためではなく、
賞賛を受けるためではなく、
ただ、自分のためだけに写真を撮る。
自分が生きて行くために。
自分が気に入る作品を残すために。
「写真」とは決して「真実」を「写す」ことではないと思う。
空間や空気を感じるような…
静寂の響きが伝わるような…
そして
悲嘆に暮れている人を勇気づける写真ではなく
そばに共に座って哀しみを共有しているかのような
そんな写真を撮りたい…。
そう、ちょうどあのとき、
写真がいつも、そばにいてくれたように…。
自分が生きて行くために。
自分が気に入る作品を残すために。
「写真」とは決して「真実」を「写す」ことではないと思う。
空間や空気を感じるような…
静寂の響きが伝わるような…
そして
悲嘆に暮れている人を勇気づける写真ではなく
そばに共に座って哀しみを共有しているかのような
そんな写真を撮りたい…。
そう、ちょうどあのとき、
写真がいつも、そばにいてくれたように…。
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