たまには色の付いた写真。色というのは非常に主観的なものだ。
この写真の空を、いわゆる色相200°、彩度100%、明度80%程度と定義される「青」と感じられる人は果たしてどれぐらいいるのだろう?たとえそう感じられないとしても確かに「空は青い」。
同様に、ボクにとってポストは赤いし、葉は緑だ。(他の人とは違う「赤」、違う「緑」だとしても…)
そう考えると、彩度0%の状態の写真は非常に客観的なものとなり得るだろう。そう思って、自分は白黒の写真を撮る。
だが、残念ながらこれには、「色彩に限っては…」という但し書きが必要ではある。美に関する感覚は、やはり非常に主観的なものだからだ。
果たして…
万人が普遍的に「美しい」と感じる絶対的なもの、客観的に言って誰が見ても「美」と判断できるものなど、この世に存在するのだろうか?
そう考えると、古代から現代に至る著名なアーチストたちの作品は全て「美」なのだろうか?あくまで、多数決で「美しい」と言われているに過ぎないものを、右にならえ的発想で「美」と呼んでいるに過ぎないのではなかろうか?
Let us hear the conclusion of the whole matter:(Ecc 12:13 KJV)
Photo is Complacency...
この写真の空を、いわゆる色相200°、彩度100%、明度80%程度と定義される「青」と感じられる人は果たしてどれぐらいいるのだろう?たとえそう感じられないとしても確かに「空は青い」。
同様に、ボクにとってポストは赤いし、葉は緑だ。(他の人とは違う「赤」、違う「緑」だとしても…)
そう考えると、彩度0%の状態の写真は非常に客観的なものとなり得るだろう。そう思って、自分は白黒の写真を撮る。
だが、残念ながらこれには、「色彩に限っては…」という但し書きが必要ではある。美に関する感覚は、やはり非常に主観的なものだからだ。
果たして…
万人が普遍的に「美しい」と感じる絶対的なもの、客観的に言って誰が見ても「美」と判断できるものなど、この世に存在するのだろうか?
そう考えると、古代から現代に至る著名なアーチストたちの作品は全て「美」なのだろうか?あくまで、多数決で「美しい」と言われているに過ぎないものを、右にならえ的発想で「美」と呼んでいるに過ぎないのではなかろうか?
Let us hear the conclusion of the whole matter:(Ecc 12:13 KJV)
Photo is Complacency...
0 件のコメント:
コメントを投稿