僕が撮る写真は決して
明るい写真や人を楽しませる写真というものではなく
むしろ
どこかさびしく、はかなく感じる写真のほうが多いように思う。
というより、そういう要素を無意識に探そうとしてしまう。
これは、きっと、
「楽しさ」や「喜び」よりも、
「寂しさ」や「悲しさ」のほうが
より普遍的で、万人が感じる心情だからなのかもしれない。
だれしも、人は寂しさと隣りあわせで生きていて、
寂しさに覆い尽くされるのを避けようとして生きていて、
それでも、寂しさを感じてつらい気持ちになって生きている…。
人の根底にあるのは、
喜びや楽しみではなく
寂しさや悲しさのような気がしてならない。
そう、僕の写真は、
人をいわば無理に「楽しさ」や「喜び」に追いやるのではなく、
「寂しさ」や「悲しさ」に同情したいと願っているのだ。
否、同情してもらいたいだけなのかもしれない…
0 件のコメント:
コメントを投稿